後ろに続く言葉は、『皆馬鹿だよ』
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「鶏が先か、卵が先か。」
この言葉を聞いたことがある人は沢山居るのでは無いでしょうか?
これは、状況によって結論が変わってしまうときに使われる比喩です。
結論は、「卵が先」らしいです。
では、「この世が存在したのが先か、人間が存在したのが先か」
どっち?
もっと、突き詰めていきましょう。
この世、この世界、時代、そういった物が存在したのが先か、
貴方自身が存在したのが先か、
どっち?
僕個人の考えを、
僕自身が、この世に存在しなければ、この世なんて不必要。
もし、この世とは違う、他の世界があって、そこに生まれたのなら、
この世は、僕にとっては、不必要です。
まず、僕自身が存在しないことには、この世の存在を知りませんからね。
僕は、この世、この世界を踏みつけて生きて居ます。
この世とか、この世界とかの為に生きているのではありません。
僕は、僕が存在するから生きている。
この世が存在しているということには、感謝をしますが、
この世に生かされてる、そんな考えは糞食らえです。
まぁ、要するに、この世とか、この世界には、感謝してるということです。
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この世とか、あの世とか、色々な言葉で、この世界を表現する言葉があります。
僕には、そういう言葉の表現は、イマイチ、ピンと来ません。
この世界は、区切る必要が無いと思うのです。
生も、死も、今という時間に存在するからです。
表現するなら、もし、山の中で獣が死んだら、
それは肥料となり、その肥料を元に他の生命が・・・。
それを繰り返す訳ですよね?
だから、生も死も長い時間を第3者的な位置から眺めると、止まることが無く流れ続けて居るんですよ。
でも、この世とか、あの世とか区切って考える時、その世界は一瞬停止しているんですよ。
んー、伝わりづらいw
ある物語の映画があって、それは永遠に終わらない物語。
それを見て居るのが僕らだとします。
そして、その物語というのが、生命の命やら、この世界なんです。
常にその映画は変化をし、止まることがありません。
これが、僕の思う、この世界の全体図に近いと言うか、僕が感じてる世界の一部です。
僕の感じる世界の一部分なので、もっと、こう実際は色々と複雑になるのかなぁ・・・
本当はもっと単純なのかも・・・
説明するのって難しいなぁ・・・
あの世とか、この世という表現は、アルバムを見るような感じです。
世界が止まってるんですよ。
ある一部分を切り取って見ている感じがします。
んー、だからと言って、あの世とか、この世という表現を否定する訳でもないんですよね。
それも含めて世界というか・・・
あれぇ?説明が難しい・・・
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