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君も僕も

後ろに続く言葉は、『皆馬鹿だよ』

カテゴリー「おはなし」の記事一覧

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人間が先か、この世が先か

「鶏が先か、卵が先か。」

この言葉を聞いたことがある人は沢山居るのでは無いでしょうか?

これは、状況によって結論が変わってしまうときに使われる比喩です。

結論は、「卵が先」らしいです。


では、「この世が存在したのが先か、人間が存在したのが先か」

どっち?

もっと、突き詰めていきましょう。


この世、この世界、時代、そういった物が存在したのが先か、

貴方自身が存在したのが先か、

どっち?


僕個人の考えを、

僕自身が、この世に存在しなければ、この世なんて不必要。

もし、この世とは違う、他の世界があって、そこに生まれたのなら、

この世は、僕にとっては、不必要です。

まず、僕自身が存在しないことには、この世の存在を知りませんからね。


僕は、この世、この世界を踏みつけて生きて居ます。

この世とか、この世界とかの為に生きているのではありません。

僕は、僕が存在するから生きている。

この世が存在しているということには、感謝をしますが、

この世に生かされてる、そんな考えは糞食らえです。


まぁ、要するに、この世とか、この世界には、感謝してるということです。

どうもありがとうございます。


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ジンクス

ジンクス(英語:jinx)は、縁起の悪い言い伝え。様々な物があり、生活に密着した教訓・習慣・法則の一つ。科学的根拠に基づかず、経験に基づき唱えられる場合が多いため、前後即因果の誤謬に陥っているものが少なくないが、近世になってから裏付けがとれたものもあり、全てが迷信とは言いきれるわけではない。また、縁起担ぎに関するものでは類感呪術的な発想も多い。(金を連想させるものを金運のジンクスにするなど)

語源は不鮮明だが、ギリシア語のjynx(アリスイ。キツツキの一種)に起因するという説がある。アリスイは、自らの首を180度回転させ真後ろを向けられるため、不吉とされてきた背景があり、しばしば魔法と占いに用いられた。

なお、本来の語義は「縁起が悪い」、「運が悪い」など悪いものであるが、日本においては良い縁起という意味でも使われる。
Wikipediaよりコピペ


なお、加藤英明・名古屋大学大学院教授らが2005年プロ野球公式戦データを基にして取った統計によると、「チャンスを逃すとピンチあり」「大量得点をした次の試合は打てない」は錯覚であるという。

「人は印象が強いと、本当は頻繁に起きていないことでも確率が高いと思い込みがちだ。
通説にも錯覚がかなりあるのではないか」
と加藤は話している
Wikipediaよりコピペ

要するに、ジンクスは、げん担ぎみたいものですね。

これは、霊の存在の有無みたいなものですね。
人によっては存在するけど、人によっては存在しない。

あってもなくても良いって物。

だけど、人間は心が弱い生き物ですから、自分で勝手にジンクスを作って、それで自分を奮いたたせるという方法もありだと思います。
人間は簡単な生き物なので、ジンクスを自己暗示にすることで、思ってもみない実力を発揮することもあります。

要は、色々な事象を、どういう物なのかきちんと知り、それに振り回されないことが大切だということです。


例えば、「就職の面接など、自分にとって重要なことがある日は、絶対に左足から靴を履く。」
と、いうジンクスがあったとしましょう。

さて、あなたはどう捉えましたか?

①左足から靴を履かないと悪い結果になる。

②左足から靴を履くと良い結果になる。

③結果しだいで①とも②ともとれる。



まぁ、ちゃっちゃと結論を言ってしまえば、正解は②ですね。


①左足から靴を履かないと悪い結果になる。
右足から靴を履いてしまうと悪い結果になるということです。

自分のモチベーションを自分で下げてどうするのでしょうか・・・

②左足から靴を履くと良い結果になる。
この考え方は良いと思います。
ただ、左足から靴を履かなかったら、いつもの力を出せないという考え方をしたのならば、
①と変わりませんね。

左足から靴を履くことによって、自分に自信を与える。
そういう考え方が大切だと思いますよ。

③結果しだいで①とも②ともとれる
③は、ただただ、ジンクスに振り回されてしまっているだけ。
そんな結果に左右されるようなものはジンクスでもないですけどね。
それでも、そんな物に固執してしまってる時点で、
ジンクスに振り回されてしまっています。

どっちともとれるのなら、最初からジンクスだとか思わなければ良いのです。

まぁ、何よりも、そういうものを意識するくらいなら、面接の練習しとけって話ですよね。


そんな感じで、本末転倒なことを書いてしまったところで今回はこの辺で・・・



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風と蝶


蝶が飛ぶ季節になりましたね。

風が吹く日、蝶は風になびくように空を飛びますね。

”蝶は風を操り飛んでいるのか?”

”蝶は風に操られて飛んでいるのか?”

あなたには、どのように見えますか?

僕は、その両方に見えます。

子猫のじゃれ合いのようです。

ついでに、わたしたちに置き換えてみましょうか。

”風””僕たち”です。

”蝶””時の流れ””時代””世間”、そういったものです。

想像の中で、あなたは蝶を翻弄することが出来ますか?

風の中を漂う蝶は、風を受け流し、そして、その風を利用して更に高く飛びあがります。

蝶は風を知っているので、風に殺されるなんてことはありません。

風は蝶を殺すことが目的で吹いている訳ではありません。

風は風であるために吹いているのです。

だから、蝶を殺すことはできません。

そんな想像をした後に、今度は、”あなた””蝶”になり、

”風””時の流れ””時代””世間”、そういったものとして想像してみてください。

どんな風があなたに吹いていますか?

どう飛べば、その風と上手くやっていけるのでしょうか?

そろそろ、春一番はやむころですかね・・・



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この世とか、あの世とか

この世とか、あの世とか、色々な言葉で、この世界を表現する言葉があります。

僕には、そういう言葉の表現は、イマイチ、ピンと来ません。

この世界は、区切る必要が無いと思うのです。

生も、死も、今という時間に存在するからです。

表現するなら、もし、山の中で獣が死んだら、

それは肥料となり、その肥料を元に他の生命が・・・。

それを繰り返す訳ですよね?

だから、生も死も長い時間を第3者的な位置から眺めると、止まることが無く流れ続けて居るんですよ。

でも、この世とか、あの世とか区切って考える時、その世界は一瞬停止しているんですよ。

んー、伝わりづらいw

ある物語の映画があって、それは永遠に終わらない物語。

それを見て居るのが僕らだとします。

そして、その物語というのが、生命の命やら、この世界なんです。

常にその映画は変化をし、止まることがありません。

これが、僕の思う、この世界の全体図に近いと言うか、僕が感じてる世界の一部です。

僕の感じる世界の一部分なので、もっと、こう実際は色々と複雑になるのかなぁ・・・

本当はもっと単純なのかも・・・

説明するのって難しいなぁ・・・

あの世とか、この世という表現は、アルバムを見るような感じです。

世界が止まってるんですよ。

ある一部分を切り取って見ている感じがします。

んー、だからと言って、あの世とか、この世という表現を否定する訳でもないんですよね。

それも含めて世界というか・・・

あれぇ?説明が難しい・・・



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謝罪

日本人は謝罪するのが苦手です。

日本人は謝罪をしても許してもらえることが少ないからです。
謝罪をすると、逆に責められたり、問題が大きくなることが多い。

日本人の多くは、そんな勝手な思考が出来上がっています。

その為、謝罪することよりも、

「取りあえず言い訳して、言い逃れ出来れば!!」

そんなことを考えてしまいます。


多分、僕もそんな人間です。


実際のところは、謝罪すれば済むことが多いです。
ですが、謝罪をすれば済むことでも素直に謝罪できず、大事になってしまうことが多いと思います。


子供の頃、よく親が、「怒らないから素直に謝りなさい。」と、言われた記憶がある人で、

「怒らないから素直に謝りなさい。」と、言われたから謝ったのに褒められずに怒られた。

そんな人は多いではないのでしょうか?

そんな人は、素直に謝れる人が少ないのではないでしょうか?

「怒らないから素直に謝りなさい。」と言われたから謝ったのに怒られる。
これは、言い逃れできない人を責め立ててる状態ですね。
無抵抗の弱い人間を殴る蹴るをする状態です。
それも、信頼する親にされてるのです・・・

こんな環境で、素直に謝るということが身に着くのでしょうか?

近年では、叱るのではなく、子供と喧嘩しようとする親が増えて居ます。
しかも、その喧嘩に勝とうとしてる親が多いです。

あなたは、こんな親に育てられて、素直に謝ることができると思いますか?


ですが、なんでもサジ加減と言うものが大切です。

常に許していては、謝れば許してもらえると勘違いしてしまうので、本当に反省して謝ってるのならば許す。
謝れば許してもらえると反省の色が少しも無いのに謝った場合は、
謝れば取りあえず許してもらえると思ってることに対して諭さなければいけません。

また、反省して無いのに渋々謝ってる場合は、逆に褒めてあげなければいけなかったり、
その時に臨機応変に対応しなくてはいけません。

それとは別に、反省した子供に再度叱る必要かどうか?
その判断も必要だったり・・・。

親も人間です。
上に書いたことを完璧に出来る人は滅多に居ません。

ですが、子供と喧嘩をする親はいかがなものでしょうね・・・。


だからといって、成長した今も、謝罪しないという理由にはなりません。
怒られるのが分かっていても謝罪できるようにならなくてはいけません。

それを理解することが、一番大事なのではないでしょうか?


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