『 善 』という言葉がありますが、『 善 』という言葉単体で使うことは滅多にないですね。
使うとしたら。「良いことをした。」という感じで置き換えて使われます。
どちらかと言うと、『 善 』という言葉は『 偽善 』という言葉と同時に使われています。
そもそも『 善 』とは何か?
『 善 』とは、"よい行い"それらを指す。
『 善 』とは、"自己犠牲"自分の利益を顧みず。誰かの為に行動するということ。
じゃぁ、『 偽善 』とは何か?
まぁ、簡単に言えば、"詐欺"で良いんじゃないかな。
世間一般敵に『 偽善 』とは、"自己犠牲ではない。よい行い"
結局どっちも結果的には、よい行いをしています。
でも、なぜ偽善は嫌われるのでしょうか?
人間は、腹の奥底では、「誰かの為に何かをしたい」そう感じてるからこそ、『 偽善 』を嫌うのではないでしょうか?
要するに、『 偽善 』は、自分の利益の為に"よい行い"をするのです。
基本的に、『 偽善 』は、自己嫌悪するときに使われる言葉です。
例えば、「自分のしていることは『 偽善 』だ。」
でも、日本人的な考えをすれば、矛盾が生じます。
「情けは人の為ならず」
この言葉の意味は、そもそもは、誰かに良い行いをすれば、巡り巡って、必ず自分に返ってくる。という意味です。
これは『 善 』なのでしょうか?『 偽善 』なのでしょうか?
このことについての答えは賛否両論だと思います。
と、いうことは『 善 』も『 偽善 』も同じ意味なのではないでしょうか?
『 善 』と『 偽善 』は、表裏一体で境目がない。
そんな言葉なのだと、私は思います。
謙遜するときに使う『 偽善 』という言葉こそが、本当の『 善 』なのではないでしょうか?
←クリック待ちです。
PR
COMMENT
無題
うまく言えませんが、偽善であっても受け取る人が善と思えば、それは善でいいんじゃないかと個人的には思います。
ってVIPでお会いしたいのにちっともいらしてくれない!!!!!
無題
無題
まさかまた入院してらっしゃるのでは。