言葉と言うのは、日本語、英語、フランス語、漢語、さまざま種類がある。
それは、何のためか考えたことがあるだろうか?
ある人は、バベルの塔が原因だと言うが、はたしてどうだろう?
言語が異なると、喧嘩もままならない。
日本語しか分からない人と、英語しか分かない人が罵りあったとしよう。
それは、まともにお互いが理解して喧嘩できるだろうか?
お互い何を言ってるか分からない状態で喧嘩をしようにも、出来るはずがない。
お互い不完全な形で、喧嘩を終えることになる。
お互いが、まともに喧嘩を出来ないということは、大きな喧嘩が起きにくいということなる。
要するに、戦争が起きにくいということになる。
内紛が起きるやすいのは、お互いの言葉が分かるが故に、大きな喧嘩になりやすいからだ。
お互いが言葉を分からなければ、単純な叫び合いで済み、話が最初からこじれてしまい。
喧嘩らしい喧嘩も出来ずに終わるのが普通。
滅多に大きい喧嘩をすることもままならない。
だから、お互いに、まともな言葉を喋れなければ、戦争は起きにくい。
ただ、最近は、グローバルなどと言い。
その均衡は崩れつつあります。
言葉の壁は、必要な物でもあるが、不必要な物でもある。
誰しもが、言葉がどれだけ重要か理解していれば、失敗は少ないのになぁ。
やっぱり、この世は難しい。
難しいものほど楽しいのだけどね。
あー、後、僕のブログを読んで、そのまま引用してる奴、恥ずかしくないのか?
自分の言葉で、物事語れなきゃ、その目は節穴ってことだよ。
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COMMENT
無題
元気な復活をお待ちしております。
Re:無題
どこ情報なのか知りませんが、ずっと元気です。
ブログはサボタージュしてました。
読んでいただいてありがとうございます。
どこかで、ヒーラー募れないの!?
キモチのお手当、おいときます。
つ 生きてるかい?!
Re:どこかで、ヒーラー募れないの!?
薄着でお腹は何度か壊しましたが元気です。
ブログ読んでくださってありがとうございます。