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君も僕も

後ろに続く言葉は、『皆馬鹿だよ』

カテゴリー「おはなし」の記事一覧

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コメントへの返信を記事でさせていただきます。


>奇跡…便利な言葉ですよね

>何故、霊視が出来たり勘などが鋭い人が存在するのでしょうね。
>私は奇跡だと思います。
>オーラ視できる人も、その奇跡の部類だと思いますが
>人より感覚が鋭いって言葉で説明はつくのでしょうか?

>額や喉、へそ下のチャクラの働きが活発になる事によって、そういう能力が発揮されるという説もありますが
>明らかにそのチャクラバランスを崩してまで(チャクラ部分の病気持ちや病気になってしまう状態)、
>己の欲望やエゴで霊視やらオーラ視をし続ける人達を
>どうやって止めたらいいのでしょう?

>狂籠手さんはどう思われますか?

と、いうコメントをいただきました。

長くなりそうなので、ブログ記事で返信させていただきます。

んー、難しいですね。あ、これ口癖になってるかも・・・
簡単なことなんてありゃせんのに・・・

まぁ、そんな話はおいといて、

まず、
>何故、霊視が出来たり勘などが鋭い人が存在するのでしょうね。
について

これについては、科学的に完璧な否定も肯定もされていません。

科学的に見て、霊が見えると言われる場所の多くは、
電磁波だったり、磁力だったり、ガスだったりが発生していることが多く、
それが脳へ影響をして、それが何か別の物を見せている。

なんてことを言ってる科学者もいます。

そのことから、霊が本当に見えるという人は、電磁波の影響を受けやすいのでは?

と、いった考えかたをされたりもしています。

僕的にも、チャクラがどうとかと言うよりも、
まだ解明されてないですが、
こー電磁波的な物を受けやすい人が見えたりするって言う感じの方がしっくり来る感じがします。

前回の記事でも書いた、『奇跡は都合が良い言葉』っていうのと一緒で、

チャクラという言葉も結局は、何か分からない現象の穴埋めするために作られた、『都合の良い言葉』なのですから・・・


>明らかにそのチャクラバランスを崩してまで(チャクラ部分の病気持ちや病気になってしまう状態)、
>己の欲望やエゴで霊視やらオーラ視をし続ける人達を
>どうやって止めたらいいのでしょう?

えぇ、霊視とかオーラとか出来るようになるって人は、
なぁんか人より優れてるなぁって感覚を持つようになる人が多いというより、絶対なると思います。

僕もなってそうです。

いやほんと、無自覚なだけでなってそう・・・

そういうのは、実際は、主に統合失調症という精神病ですね。

自分が、少し前までの自分とは違うと感じず、
そういう見えることに対して受け入れてる人は確実に病気だと思います。

なぜなら、それを受け入れられるという時点で正気の沙汰じゃない。

受け入れることを、ただ単純に「悟ったから」と、いう人が居ますが、
悟りを開くのにどれだけ修行を積まなくてはいけないのか・・・

まぁ、そんな愚痴みたいな話はどうでも良いんですよ。

で、ですよ、

>己の欲望やエゴで霊視やらオーラ視をし続ける人達を
>どうやって止めたらいいのでしょう?


身内でそういう人が居るなら、心療内科に受診させることが一番です。
1件2件ではなく、5件は回らないと良い心療内科は見つかりませんが・・・

また、身内でないのなら構う必要はないのではないでしょうか?

犯罪を犯す人を止めるのは警察官です。
病気を治すのは医者です。

なにより、そういうこと(精神病や、霊視など)に関する知識が無いのなら、
情けだけでは、どうすることも出来ないのではないのでしょうか?

もし、本当にそういう人を止めたいのならば、知識を付けることが大切だと思います。

そんな感じの考えをしています。


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奇跡はあるのか?ないのか?

物事には、全て理由があります。

ですが、その物事の理由が分からない時に使う言葉が奇跡です。

簡単に言えば、答えがない時に、都合よく辻褄合わせするための言葉です。


実際は、きちんとその物事を細かく調べれば、奇跡なんて言葉はなくなります。

物事が起きるには、必ず理由があるからです。

ですが、その必要が無い時、もしくは、現代の科学では解明できない時に奇跡という言葉を使います。

結論を言えば、その物事を、奇跡だと思う人は奇跡だと思えば良い。

違うと思うのならば、奇跡ではなくて良い。

ただ、きちんとした理由があるなら、それを受け止めることは重要です。

未然に事故などを防ぐためにも・・・



人気ブログランキングへ←クリックをすると奇跡がおき

煙と火と神聖

人の多くは勘違いをしている

多くの人は火が神聖であると思っている。

太陽が火できていることを知っているからだ。

だが、違いは太陽は煙をださない。
太陽は煙を出さない事を人は知らない。

煙は人を蘇らせる。

煙は魂を蘇らせる。

神聖なのは、煙だ。

火よりも煙が神聖なものだ。

人は煙を肉体に取り込もうと必死になった。

その為に、人は煙草を作った。

人は煙を肉体に取り込もうとした結果。

勘違いをし、煙を吸い込むようになった。

だが、煙草は人の器を作っている肉体には有害だった。

魂自体には、優良な物でも煙は肉体には有害なものだ。

これが大きな勘違いだった。

人が愛している物とは反対な物が作った頭の良い罠だ。

毒はやがて、麻薬になり。

人に蔓延するようになった。

だが、しかし、それを察している人は、煙草を吸わず

代わりに煙を使うだけの儀式をした。

それは全世界に混在する。

例えば、日本で言えば香。

その他日本に限らず。

全世界に、その風習はある。

日本に限ったことではなく、日本とはかけ離れた先住民族の間ではよく使うまじないにある。

それは、人の頭で考える部分とは別にある能力のおかげである。

また、水は人間には大量に存在すると毒となる物。

だが、人間にとっても、命の源であることは変わりないい。

その結果水から毒である酒を作った。

それは、人が魂の一部を自らの力で呼び覚ます為に作った諸刃の剣だ。



火と水は、似て非なる物だ。

実態は無く。

形のないものだが。

人には欠かせないものだ。

水よりも実態のない物は、煙だ。

水以上に、火というもの以上に、煙には実態がない。

それは、人にとって幻想的な物であったに違いない。

やがて人は大気と言うものを知った。

いつの間にか人は、

実態の無い物=幻想的な物。

煙に近い存在を探すようになっていた。

人は煙と言うものを知った時。

それは、魂にもっとも近い物だと感じたからだ。

人は煙は魂により近い物だと知った。

そして、人は勘違いをするようになっていた。

煙は火によって起きる現象だ。

だから、火は魂に、より近い物だと思うようになっていた。

だが、事実は違った。

煙は火とは一線を書くものだ。

だから、人は火に魅せられながらも触ることすらできない。

だから、掴むことすら不可能。
たびたび人は火に殺される。
最後は火に焼かれ死ぬことを選ぶ者も現れた。

だが、事実は違った。

煙こそが人に近い

人の魂いに近い。

それを、今は忘れ去られようとしている。

火という。
幻の明るさに。

太陽に近い明るさを持つが。

とても遠い存在であることに気づかない。

勘違いをするようになった。


そんな感じのおはなしでした。
科学が進んだ現代ではどうでも良いことです。

人気ブログランキングへ ←クリックしていただけると悦びます。


振動

微動だにしないことの難しさ。

この世界の全ての物は時間がある限り、その状態を留めて居るということは決してありません。

物はいつか壊れます。

人は、それを死と呼んだりします。

永遠というものはありません。

動かないことが難しいのなら、動けば良い。

それだけのことです。

片意地を張って動かないでいることの方が難しい。



人気ブログランキングへ ←永遠の輝きのダイヤモンドもいつか砕けます。

守護霊とは?

よく、霊視やら、占いやら、オーラやら、

そんな話の中に守護霊の話しが出てきます。

守護霊という言葉を口にする人は、守護霊をどんな物として捉えてる人が多いのでしょうか?

自分とは別の誰か、もしくは、別の何かの霊が守ってる。

そんな考えの人が多いのではないでしょうか?

逆に考えてみて、もし、自分が死んだら誰かを守護できますか?

また、誰を守護したいですか?

もし、その人を守護をするとして何をするのですか?

守護霊が存在したとして、

勝手にその人を守って、勝手に危険がないか監視する。

そういう風に、守護霊になったつもりで考えてみると、現代で言うストーカーと同じだと思います。


では、守護霊に守られる側から考えてみましょう。

良いことがあったり、悪いことがあったら、守護霊の力が働いてるおかげ。

おおざっぱに言うと、こんな感じです。

守護霊の存在を主張する人の多くは、守護霊と神様は同じ意味なのではないでしょうか?

今、人生を歩んでいるのは僕たち自身であって、守護霊ではありません。

物事の結果の責任は、僕たち自身の果たした結果によるものです。

僕たち自身の人生は、守護霊でも、神様の物でもありません。

人生は僕ら自身のものです。

それを勘違いしてはいけません。


別に守護霊や神様は居ても良いです。

ですが、自分自身が生きているということを、守護霊や神様に丸投げしてる人が多すぎます。

それだけはしないで欲しいです。


結局のところ、「守護霊って何?」と、聞かれたら、「仮面を外した、その人自身。」と、僕は答えます。

僕は、守護霊と呼ばれるものに、その人の心理がそこに詰まってると感じます。

時に、人は何かに突き動かされることがあります。

その本質に近いです。

自身では理解しきれないけども、そこにあるその人自身の本質。

そういった物に近いと思います。

守護霊と呼ぶよりも、その人の生きることの本質に近いです。

分かりやすい言葉だと、魂的な・・・。

呼吸する。心臓を動かす。そういった物とは、別の物。

俗にいう、オーラや守護霊、そういった物とは少し違うのかもしれません。


結局、何を言いたいかと言うと、

今生きているということを、他の誰かの責任にするのは僕は嫌いだ。

と、いうことです。


人気ブログランキングへ←やっぱり言葉にすると難しいなぁ
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