後ろに続く言葉は、『皆馬鹿だよ』
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この世とか、あの世とか、色々な言葉で、この世界を表現する言葉があります。
僕には、そういう言葉の表現は、イマイチ、ピンと来ません。
この世界は、区切る必要が無いと思うのです。
生も、死も、今という時間に存在するからです。
表現するなら、もし、山の中で獣が死んだら、
それは肥料となり、その肥料を元に他の生命が・・・。
それを繰り返す訳ですよね?
だから、生も死も長い時間を第3者的な位置から眺めると、止まることが無く流れ続けて居るんですよ。
でも、この世とか、あの世とか区切って考える時、その世界は一瞬停止しているんですよ。
んー、伝わりづらいw
ある物語の映画があって、それは永遠に終わらない物語。
それを見て居るのが僕らだとします。
そして、その物語というのが、生命の命やら、この世界なんです。
常にその映画は変化をし、止まることがありません。
これが、僕の思う、この世界の全体図に近いと言うか、僕が感じてる世界の一部です。
僕の感じる世界の一部分なので、もっと、こう実際は色々と複雑になるのかなぁ・・・
本当はもっと単純なのかも・・・
説明するのって難しいなぁ・・・
あの世とか、この世という表現は、アルバムを見るような感じです。
世界が止まってるんですよ。
ある一部分を切り取って見ている感じがします。
んー、だからと言って、あの世とか、この世という表現を否定する訳でもないんですよね。
それも含めて世界というか・・・
あれぇ?説明が難しい・・・
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