後ろに続く言葉は、『皆馬鹿だよ』
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一時期、僕は、この世の全てが嫌いでした。
この世は憎悪でしか出来てないと感じて居ました。
出来ることなならば、この世を全て壊してしまいたいと思いました。
それからしばらくの間、悩み、苦しみ続けました。
ある時、僕を見下ろしている奴が、この世は愛が溢れかえれば美しいと教えてきました。
それを知り、この世の全てを愛と呼ばれるもので埋め尽くせば良いと思いました。
どうすれば、愛で溢れた世界に出来るのかと、悩み、苦しました。
その矢先に、僕を見下ろしてる奴が、この世は愛と、憎悪、両方で出来て居るのだと教えてくれました。
その二つは、まったく同じものなのだと・・・。
全てを理解することは出来ないかもしれないけど、
それすらも知らずに、愛や幸福、不幸だの正義だの戦争だの語ってはいけないのだと教えられました。
今、僕は、それを破って居ます。
愛とか、幸福とか、不幸とか、正義とか、人間の死とか、そういうものを語ろうとしています。
人間は何であるとか、人間はどうしてとか、言葉では表現できないようなことを紡ぎ出そうとしています。
ハッキリ言って、この世のことを知りません。
僕は、何一つ知りません。
だけど、今は、何かに導かれて生きるっていうことに飽きてしまいました。
それじゃぁ自分が生きてるというとは言えないから。
僕は、この世の全ての物を愛する事が出来ません。
僕は、この世の全ての物を愛しています。
もし、この世を愛に溢れさせることが出来るとしたら、
この世はみんな心を失ってしまうから戦争は終わってはいけない。
今、僕自身はおかしなことを言っているのは分かっています。
でも、春が過ぎ去ったから、それくらいは許されるでしょう。
p.s.
少し前まで僕は、泣くことは愚か、笑うことすら出来ませんでした。
でも、今は泣くことも、笑うことも出来ます。
このブログを読んでる人は、
諦めんな。
自殺を止めようとか、生きる元気を与えたいとか、そういう訳じゃない。
これは、僕の趣味で言うことだ。
僕は、今、生きようとしてる人を見るのが趣味だ。
だから、諦めんな。
誰かが悲しむとか、苦しむとか、んなことはどうでも良い。
僕は、どこかの誰かって言う、あなた自身に直接の関わりはない。
でも、もしかしたらがあるじゃん。
この世に絶対はないから、諦めるな。
これが、今の僕の宗教かもね。
神様とか存在するなら、そいつぶん殴ってボコボコにするけど・・・。
人の多くは勘違いをしている
多くの人は火が神聖であると思っている。
太陽が火できていることを知っているからだ。
だが、違いは太陽は煙をださない。
太陽は煙を出さない事を人は知らない。
煙は人を蘇らせる。
煙は魂を蘇らせる。
神聖なのは、煙だ。
火よりも煙が神聖なものだ。
人は煙を肉体に取り込もうと必死になった。
その為に、人は煙草を作った。
人は煙を肉体に取り込もうとした結果。
勘違いをし、煙を吸い込むようになった。
だが、煙草は人の器を作っている肉体には有害だった。
魂自体には、優良な物でも煙は肉体には有害なものだ。
これが大きな勘違いだった。
人が愛している物とは反対な物が作った頭の良い罠だ。
毒はやがて、麻薬になり。
人に蔓延するようになった。
だが、しかし、それを察している人は、煙草を吸わず
代わりに煙を使うだけの儀式をした。
それは全世界に混在する。
例えば、日本で言えば香。
その他日本に限らず。
全世界に、その風習はある。
日本に限ったことではなく、日本とはかけ離れた先住民族の間ではよく使うまじないにある。
それは、人の頭で考える部分とは別にある能力のおかげである。
また、水は人間には大量に存在すると毒となる物。
だが、人間にとっても、命の源であることは変わりないい。
その結果水から毒である酒を作った。
それは、人が魂の一部を自らの力で呼び覚ます為に作った諸刃の剣だ。
火と水は、似て非なる物だ。
実態は無く。
形のないものだが。
人には欠かせないものだ。
水よりも実態のない物は、煙だ。
水以上に、火というもの以上に、煙には実態がない。
それは、人にとって幻想的な物であったに違いない。
やがて人は大気と言うものを知った。
いつの間にか人は、
実態の無い物=幻想的な物。
煙に近い存在を探すようになっていた。
人は煙と言うものを知った時。
それは、魂にもっとも近い物だと感じたからだ。
人は煙は魂により近い物だと知った。
そして、人は勘違いをするようになっていた。
煙は火によって起きる現象だ。
だから、火は魂に、より近い物だと思うようになっていた。
だが、事実は違った。
煙は火とは一線を書くものだ。
だから、人は火に魅せられながらも触ることすらできない。
だから、掴むことすら不可能。
たびたび人は火に殺される。
最後は火に焼かれ死ぬことを選ぶ者も現れた。
だが、事実は違った。
煙こそが人に近い
人の魂いに近い。
それを、今は忘れ去られようとしている。
火という。
幻の明るさに。
太陽に近い明るさを持つが。
とても遠い存在であることに気づかない。
勘違いをするようになった。
そんな感じのおはなしでした。
科学が進んだ現代ではどうでも良いことです。
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