このおはなしは、以前に書いたブログ記事、
恐怖についてに繋がってきます。
※
恐怖についてを読む
まず、恐怖についてで書いたように、恐怖とは未知です。
その逆に、未知は恐怖でもあります。
では、未知の反対は、”恐怖ではない”なのか?
辞書を引いてみると、未知の反対は、既知です。
既知とは何か?軽く既知ついて説明。
既知とは、書いて字のごとく、既に知っている。という意味。
要するに未知の反対の意味です。
それでは、本題に入って行きましょう。
生まれてすぐの赤ちゃんは、何も知らない状態です。
全てが未知のはずです。
ですが、何にでも興味を持ち、見たことのない物でも口に入れて確かめようとしたりします。
今現在、物心がついてるあなたは、得体の知れない物を口に入れようとしたりできますか?
例えば、見たこともない虫とか・・・道端に落ちてる、よく分からん物とか・・・
出来ませんよね?
それを、未知だらけの赤ちゃんには出来るのです。
未知は、本当に恐怖なのかでしょうか?
本当は”未知=恐怖”とは間違いなのではないでしょうか?
”未知=恐怖”と、体が勝手に思い込んでるだけではないでしょうか?
”未知=恐怖”と、感じる根源は死です。
死は恐怖ですよね?
死とは、人にとって未知です。
そこが人間にとって恐怖の根源になっているのです。
人間は、生きて行く過程で、”死=恐怖=未知”というデータを、
”本能”というデータが格納されている場所と近い場所に刷り込んでしまうのです。
本能とは、無意識に生きようとする気持ちです。
それは、生まれた瞬間から、自分の中に存在するデータです。
本能とは、「呼吸する」、「心臓を動かす」を始めとした、「食欲」「睡眠欲」
と、いった生きるために絶対的に必要なことが書きこまれてる場所です。
本能の中心部分ほど、そういった生きるために必要なことが書きこんであります。
その本能の、すぐ近くに、死というデータがあって、その中に恐怖が書き込まれていて、
更に死というデータの中に”未知=恐怖=死”が書き込まれています。
んーややこしいですね。誰か図に書いてくれぇーーーーー。
要するに、未知が恐怖と感じてしまうのは思いこみです。ある種の勘違いなのです。
”未知=恐怖=死”この構図が出来上がってしまっているので、未知=恐怖という勘違いが起きてしまいやすいのです。
さて、話がややこしくなってきたので、今回は、ここまで話して終わりにしようと思います。
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