霊的な物の存在について
霊的な存在とか事象は、今は、僕は否定しています。
某巨大掲示板にて、僕は、霊視みたいなことをしています。
ですが、僕は、そのやってることを含んで否定しています。
理由は、まず、そういうのが恐いから。
だって、未知なるものって恐いじゃないですか、
前に書いた記事にて恐怖の正体は未知だと言いました。
僕は、それが恐くて仕方ありません。
病的な事を言いますと、僕自身が気を抜いてると、よくラップ音がしたりします。
あぁ、恐い。恐い。
(まぁ、某巨大掲示板で、狂籠手鍵莉+として霊視みたいなことを始めた頃には、
気を抜く事はなくなったのでラップ音は滅多におきなくなりましたけどねー。)
何より僕らは、今現在を生きて居ます。
死後の世界を生きて居る訳ではないのです。
だから、そんな物を気にして足を滑らせてる暇があったら、
この現世と呼ばれる場所を考えた方が幸せに近づけるのではないでしょうか?
人によっては信じて居て、人によっては信じて居ない。
そんなものの存在を主張しても、今は水掛け論にしかならない。
なので、霊視みたいなことをしている僕が否定することで矛盾を作る。
そうすることで、矛盾の中に矛盾を生んで、それを正論にしようとしています。
まぁ、一瞬の逃避は生きて行くのに必要なことですが、
ずーーーーーーっと長い時間逃避していては、今を見失ってしまうよ。って、ことです。
別に個人個人が、霊とか、そういう物を信じるのは否定も肯定もしません。
ですが、そこに逃げ込んでも何もありません。
だって、そこは霊的な物達の世界であって、僕らが生きている今と呼ばれる世界ではありませんからね。
それに、よーーーーく見てみると、この世界は美しい。
どんなに濁った、腐った世界でも、今生きているこの世界は美しいです。
それから目背けて逃げることは、とても勿体ないと思います。
美しい世界で僕らは生きていることが出来るのにね。
僕みたいなちっぽけな人間が言うのはおこがましいですが、
霊的な物の存在の主張をする人の多くは、
今のこの現世と呼ばれる世界を少しも理解してないじゃないですか。
なぁんか、それって変ですよ。
外国に行ったことが無い人が、外国の良さを説明してるみたいで・・・。
その上、自分の国を否定する・・・。
そんな人が多いと思います。
僕は、苦痛も悩みも含めて、今生きて居るのが楽しいです。
苦痛や悩みを感じている時は、やっぱり苦しいですよ。
でも、それすらも美しいと感じます。素晴らしいと感じます。
それに、生きてることすら苦しいと感じますけどねw
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